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テレビ東京のヒットを支えるベテランP×若手D「だからテレビの仕事はやめられない」

テレビ東京「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~」や「元祖!大食い王決定戦」など、素人さんが出演する番組の制作に定評のある株式会社ゼロクリエイト。数々の人気番組を手掛けているプロデューサー酒井英樹さんと、期待の若手ディレクター木下大揮さんにお話を聞きました。

株式会社ゼロクリエイト 取締役/プロデューサー酒井英樹さん

酒井プロデューサー

《経歴》
1963年生まれ。鹿児島県出身。
1985年関西外国語大学ハワイ学舎卒業。
1991年株式会社ゼロクリエイトの創業メンバーとして取締役に就任。現在に至る。
《現在のプロデュース番組》
■元祖!大食い王決定戦
■リトルトーキョーライフ
■世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~
■どうぶつBANG!!
その他、特番多数

ゼロクリエイト設立に至った経緯は?

大学卒業後、短い期間でしたけど3社の番組制作会社を移動して、一番最初の会社で当時ディレクターだった社長と出会ったんです。会社設立に至る良いきっかけになったのは、『TVチャンピオン』の『元祖!大食い王決定戦』が特番からレギュラー化するということで、この際、会社を作ろうかということになったわけです。

ゼロクリエイトの魅力は?

テレビはタレントさんたちが来てスタジオで収録する部分と、ロケに行ってというのがありますが、ゼロクリエイトは100%ロケをする会社です。ロケに行くといろいろな人に会える。普通の人が行けないところに行ける、見れないものが見れるということが魅力ですね。

忘れられないロケの思い出は?

海外ですかね。以前『進め!電波少年』をやっていたとき、タレントさんと一緒にコウモリ洞窟に入って取材したことがあって、洞窟に2時間くらいいたんですけど、あと1時間いたら死んじゃうな、という経験をしました。何百万羽といるコウモリの糞が異臭を放って、足元はドロドロ。今思うと楽しいですけど(笑)。普通、人がなかなか経験出来ないことを経験出来るという、、、いい意味でも悪い意味でも(笑)

AD時代を振り返ると?

一番最初は日本テレビで放送していた情報番組『ルックルックこんにちは』だったんですけど、朝3時にはスタジオに入って準備するということを毎日やっていました。生放送を終えるとロケに行って、帰ってきて編集して、という毎日でした。ディレクターが3人いて、ADは自分1人だったんで本当にきつかった、、、

ADからディレクターになったのは?

次にテレビ東京の情報番組を担当することになって、2年くらいやってディレクターになったんですけど。結構早かったですね。
ディレクターになるには、まず、ディレクターやプロデューサーに認められて「そろそろこいつはできるんじゃないか」とちょこちょこ編集をさせてもらえるようになり、次にテレビ局の人が認めてくれないとダメなんです。この2つのハードルを越えないとディレクターになれないんです。
ディレクターになるためには、特別な努力をするというよりも、普段やっていることができているか、それを上の人間が見ているので、仕事を一生懸命やっていたら機会が与えられるものです。
「ディレクターになりたい!」という気持ちがない限りは、この仕事はやっていられないですよ。その気があるかないか、それがすべて。行動も変わってくるし、気持ちがないと我慢できなくなるよね。

辞めたいと思ったことは?

ディレクターになり立ての頃が一番しんどかったですよ。一気に責任が出てくるので。作った作品が面白くなかったら、それを3回繰り返したらもうディレクターとして使ってくれないんですよ。なんだかなぁと思った時はありますよ。
でもなぜ辞めなかったかというと、何かの時に自分が作ったVTRをスタジオで観てて、ゲストのタレントさんやMCの方が泣いたわけですよ。そういうのを見るとたまらんですよ。「やったぁ!」と思って。そういった経験をしたから続けられているのかと。
番組制作の仕事はずっとしんどいんですけど、面白いことは必ずある。その面白さがわかるまで続けて欲しいなぁと。

酒井プロデューサー2

最近、印象に残っている仕事(番組)は?

『元祖!大食い王決定戦』かなぁ。年に4回放送があって、大きいのは春と秋にあるんだけど、その間に地方に行って予選をしたり。それプラス、2年くらい前から世界大食い(「国別対抗!大食い世界一決定戦」)というのも始まって元旦に放送してるんですが、いかんせんアメリカ代表が強くて。今年こそ日本代表が勝てるかなと思ったら3連敗で、、、
食べてくれないと勝てないんで、、、日本が勝つ勝たないで視聴率が変わる可能性もあるんですけど、それ以前に感情移入をしてしまうものです。
番組制作者としてはニュートラルな立場でなくてはならないんですけど、内心は「ちっ、、、日本!」って。

海外ロケで一番大変なことは?

撮り直しがきかないこと。ロケ自体はすごく短い期間で、朝から晩までロケしてとっとと帰ってくるみたいな。意外としんどいんです。せっかくの海外なのにディレクターにとっては全然遊んでいる感じがしない。せめて最後の日の午後から自由時間を作るために、ガーッとやって、ギリギリここだけは時間を作ろうと頑張ってやりますけどね。

番組制作に対するこだわりは?

以前『愛の貧乏脱出大作戦』という番組を作っていて、人の人生に携わるのですごく楽しかったんですけど、出演してくれる素人さんの“人となり”をどれだけ番組に削り出せるのか、というのはいつも考えていますね。

テレビ業界は今後どうなっていく?

このままではどんどん面白くなくなってしまう。そうならないようにしたいんですけど!若い視聴者にもう1回テレビに戻ってきてもらえるような番組を作らなくてはいけない、という使命はありますね。

どんな人にテレビ業界に入ってきて欲しい?

「ものづくりがしたい人」「ディレクターになりたいと本気で思える人」ですね。
でもね、「芸能人に会いたい」と思って入ってきても最初は良いと思うんですよ。ただ実際やってみると地味な仕事で、ひたすら地味…。テレビで観ている華やかな世界とのギャップはある。その華やかになる為には地味な仕事を永遠とやり続けなければならないっていうね。結局はそれが楽しいと思える人。
――酒井プロデューサーがテレビの仕事が楽しいと思えたのは?
やはりディレクターになって自分が作ったVTRに涙してくれた人がいた時ですね!AD時代はただ苦しいだけ。「クソ、ディレクターになってやる」という反骨精神だけ。

ADに必要なことは?

まだまだ芸能界は古い体質なので上下関係が厳しかったり、挨拶も大事。人と話をするのが苦手な人は続かな い。すべて人と話さなきゃいけない仕事なんですよ。インターネットで調べたことの裏を取るために話をしたり、ロケに行ってもその場の人と話をする。人と話すのが苦手なADもいたけど、まずは「プライドをなくせ」と言ってきました。プライドが邪魔をするんです。初めてやる仕事なんだから自分のプライドは置いておいて、ノープライドでやったほうが入ってくるのに。
ついでに1つだけ僕の持論があってですね、、、
ディレクターって“台風”なんです。
台風って中に入っちゃうと風が吹いてないじゃないですか?離れれば離れるほど風が強くなってくる。ADさんはしんどいんだけど、ディレクターの中まで入り 込めば、楽チンなんです。「あの人は厳しい」「あの人は嫌だから」ってどんどん離れると、いつまで経っても風が強いだけです。

テレビ業界を志す若者にメッセージを!

つらいけど、つらい分だけ喜びもまた格別だということ。それがわかるまでは辞めないで欲しい。他の業界とは違う楽しみが確実にある。それを是非!

株式会社ゼロクリエイト ディレクター木下大揮さん

木下ディレクター

《経歴》
1983年生まれ。熊本県出身。
2006年九州東海大学工学部卒業。卒業後、KKTくまもと県民テレビ報道局アルバイトとして、雑用~カメラアシスタント等、ロケの手伝いを担当。
2008年に上京し、株式会社ゼロクリエイトに入社。現在に至る。
《主なディレクション作品》
■たべコレ
■日本3大秘境 徳島県東祖谷故郷の限界集落に生きる!3男8女14人大家族
■世界の衝撃映像グランプリ
■世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~(現在制作中)

テレビ業界に入ったきっかけは?

映画が好きで、映像関係の仕事に就きたいとは小さい頃からずっと思っていました。音楽もやっていたので、繋がりはあるかなかと。

入社してみて想像とのギャップはあった?

あんまり教えてくれないんだなって思いました。自分で全部調べるしかない。先輩に聞きにくいこともあるし。でも同期に近い先輩がいたのでなんとかなりました。パソコンはまったく使えなかったし、適当にいじって覚えるみたいな。
なんで教えてくれないんだよって思いましたよ。でも転職するのも面倒だし(笑)周りと飲み行って紛らわせたり。逃げ道を持てばいいんですよ。仕事に関係ないところでコミュニケーションをとるようにして。

新人時代に大失敗したことは?

あんまりないですね。う~ん…昔のことは忘れるようにしているので(笑)
放送が終わって飲みに行って、翌日の反省会をすっぽかしたしたとか、、、あまりにも寝てなくてテレビ局の風呂場で寝てたとか、、、それで結構な騒ぎに、、、とか。

素人さんが出演する番組を担当することが多いようですが、気を付けていることは?

とにかく怒らせないことですね。地雷を踏まないように。海外での取材の際は、文化の違いから怒らせてしまったこともありました。あまり気を遣いすぎても取材にならないので、いけるところではガンガンと。でも、海外で暮らす方の取材は、皆さん日本で暮らすご両親にちゃんと生活していることを見せたいという方が多いので、ちゃんとやらなきゃいけないなと思います。

辞めたいと思ったことは?なぜ続けられた?

辞めたいと思ったのは『民放キー局の大型特番』をやったときですね。2ヶ月くらいテレビ局にこもりっきりで、ずーっと床に寝てました。まだ会社に入って半年くらいだったんですけど、ゼロクリエイトからは僕一人でテレビ局に派遣されて、他のスタッフは結構なベテラン勢ばかり。よくやったなぁと思います。でも気が付いたら最後までいた。プライドかなぁ。
「やんなきゃいけない、やろうやろう」と責任感はありました。

ディレクターになったきっかけは?

アシスタントディレクターとして立ち上げから携わった『空から日本を見てみよう』でちょこちょことロケや編集を任されるにようになって、『たべコレ』という番組でディレクターになりました。
ディレクターになるのはタイミングが難しくて、テレビ局のプロデューサーにOKもらわなくちゃいけないし。
『たべコレ』は新番組だったんですけど、「お前やるか」と言われて。『空から日本を見てみよう』とプロデューサーが一緒だったので、引き上げてもらった感じです。2008年に入社して『たべコレ』の立ち上げが2011年だから、、、3年でディレクター!?結構早いんですね(笑)

ディレクターの主な仕事を3つ挙げるとしたら?

1.プレゼン⇒「これがやりたいです」という企画をテレビ局のプロデューサーや演出陣にもらえるようにする。
2.ロケ⇒ロケの前にいろいろリサーチしても本番で全部変わる。それが面白い。
3.編集⇒面白いものを中心にストーリーを作りあげていく。編集はディレクターの見せ所だと思います。テロップなしの状態までナレーションも全部編集しています。編集も独学で覚えましたよ。この業界自分で覚えるしかないっていう。
ディレクターの仕事は2回滑ったら終わりと思ってます。シビアですよね。

木下ディレクター2

一日の流れは?

何もない日は10:30頃出社して、18:00頃には帰ります。休める時は休むので、なるべく土日はアシスタントディレクターにも休ませるし。結婚して子供もいるんで家にいないと忘れられちゃう(笑)。今度また海外ロケで3週間家を空けるし、4月の予定も決まってるし、やばいですよ(笑)

「世界ナゼそこに?日本人」の取材対象者はどうやって見つける?

基本はリサーチ会社とか、アシスタントディレクターが探すんですけど。アシスタントディレクターは取材対象者が見つかったら許可取りもします。
バングラデシュに取材が決まっていて来週行きますってところで取材対象者からNGが出た時はピンチでしたね。収録スケジュールは詰まっていたのでどっか行かなくちゃいけないし、その時は世界中に電話しまくりましたね。3日くらいでネタを見つけて、何も情報なしで飛んで、もうどうにかなるだろうってノリで行きましたね。

海外取材でのピンチは?

いや~海外で失敗したら死んでますからね。失敗出来ない。
やばいところ行ったシリーズで言うと、世界で一番危険な国と言われている中米のホンジュラスに行った時は凄かった。拳銃を持った警備員にずっと同行してもらって。あちこちで銃声が聞こえるし。
あとは、アフリカのビクトリア湖で取材をした時、とにかく蚊が多く、マラリア(蚊に刺されて最悪死ぬ感染症)も流行ってる場所だったんですけど、ホテルに泊まった朝、気づいたら約1万匹の蚊と一緒に寝てたときです。結局大丈夫だったんですが、3日ぐらいマラリアの恐怖に震えてました。

ディレクターのやりがいは?

VTRができたとき。テレビ局のプレビューで評判が良かったときは嬉しいですね。
あとは、放送が終わったあとの取材した方の反応とか。怒られるんじゃないかと不安になることはありますけどね。でも良かったと言ってくれたり、たまに手紙とかもらったり。放送をみんなで観ている様子をメールでわざわざ送ってきてくれたりとか。

ゼロクリエイトの魅力とは?

一言で言うと「自由」。やることやっていればいいっていう環境です。できていれば評価もしてくれるし、毎年査定でも返ってくる。
自由は逆に難しいですけどね。事細かく指示されたことをやっている方が実は楽。

今後の目標は?

自分で企画を書いて、自分の番組をやる。そこができなきゃだめなのかなと。何か思いついたらメモを取るようにはしてます。

どんな人にテレビ業界に入ってきて欲しい?

どんな状況でも楽しめる人。楽しいと思えるところまでたどり着くのは大変だけど、どこかしらで楽しみを見出して欲しい。ポジティブ精神!

テレビ業界を志す若者にメッセージを!

とりあえず一回入ってみて!好奇心でいいので。大丈夫だから、考えすぎるなと言いたい。この仕事って、半分遊びの延長線?みたいな一面もあるから!遊びを仕事にしたい人にはピッタリだと思います。