【石川かおりの業界人取材レポート】第1回:長かったAD時代・・・その先に彼が得た“自由”とは!?
「モヤモヤさまぁ~ず2」や「世界の果てまでイッテQ!」を制作している
株式会社極東電視台の関連会社で、
テレビ業界専門のスタッフ派遣事業を行う株式会社FETVにお邪魔して、
ディレクターの吉田さんにお話を伺いました。
ハロウィン・・・!?
これはれっきとしたテレビ番組ディレクターのヘアスタイルなのです。
さすがに普段は帽子の下にそのなりを潜めているようですが、実に凝っています。
今回は、彼がここまでの“自由”を勝ち取るまでのお話をご紹介したいと思います。
就活、結果は!?
新卒時の就活では、番組制作会社をなんと30社以上受けたそう。
そして惨敗・・・。
なんとか最後の1社でようやく内定を得る事が出来たのでした。
当時大人気番組だったバラエティ番組に配属され、
アシスタントディレクター(AD)としてテレビマン人生をスタートさせました。
その後、数々の番組を経験する中で、現在の番組制作会社の社長と出会い転職。
会社を変え、そのままADとしての日々を過ごしていました。
ADとして順調なスタートだったが・・・
3~4年、長くても5~6年ADをやっていればディレクターに上がれる事が通常の中、
彼は8年もADとして過ごしていました。
もちろんAD→チーフADに昇格し、後輩(部下)のいる環境ではあったのですが、
さすがに“腐った”そう。
こなれた仕事になり、手を抜いても何とかなる環境。
後輩に振ればそれなりに仕事は進んで行く。
何となく過ごす毎日に甘んじていた頃、なんと“謀反”が勃発。
「チーフを降りてくれ」と詰め寄る後輩AD達。不満が爆発した瞬間でした。
何もしなくても仕事を後輩に振るだけで手柄はすべてチーフの物。
これでは不満が出ない方がおかしい。
もちろんこの話はすぐに会社の上層部の耳に入る事になるが、
当時の上長は笑いながら、「そんな風に言い合えるなんて、お前ら本当に仲が良いな」と一言。
当の本人達は決してそんな心境ではなかったのですが・・・。
結局彼はチーフを降ろされる事はなかった。
そこからの彼は180度変貌を遂げたのです。
後輩たちに謀反を起こされて、とにかく「超悔しかった」。
これまで以上の仕事っぷりは周囲を驚かせたという。
続ける理由
10年以上もテレビ業界に身を置く彼も、「辞めたい」と四六時中思っているそう。
まず入社3日目が最初の「辞めたい」だった。
番組制作はリサーチと呼ばれる調べ物がかなりある。
新聞、インターネット、図書館、ありとあらゆる手段で調べ上げる作業です。
一睡もせずにリサーチして、やっとの事で見付かった頃、
上からの「あ、もうそれいらないから」とあっさり終焉。
そのガッカリ感は本人のみぞ知る状態。
こんな事は序の口で、まだまだ「辞めたい」と思う出来事は尽きない中、
なぜ今まで続けて来られたのか?
ニヤリとしながら彼は教えてくれました。
「感動があるから辞められないんです」
例えば、前述のリサーチ作業。時には自分が調べた事が形となって放送される。
それはそれはもの凄い達成感を味わえるのだとか。
ディレクターになったら・・・
では、上に行けば何かが変わるのか?
AD→チーフAD→ディレクターとステップアップし、
AD時代とはまったく違うプレッシャーに押しつぶされそうになったそう。
AD時代の「寝れない・帰れない・怒られる」なんていう苦痛ではなく、
自分が制作した物に対し、センスを全否定されるのです。
自分自身の能力を思い知らされる毎日となったのです。
ディレクターになったからと言って、まったく勝ちではない。
売れっ子ディレクターになれば番組の掛け持ちで疲弊。
さらに演出になれば番組の全責任を負う立場になる。
どこまで行っても楽にはならない仕事が番組制作の仕事なのです。
テレビ業界ならではの良い事は?
では、一般企業のサラリーマンと違う何か良い点はないのでしょうか?
あります!それは「勤務時間」
番組制作の仕事は究極のフレックス制なので、ある程度の裁量権を得たら、
自分でスケジュールを組む事が出来るのです。
満員電車に乗る事もなく、やる事やって時間を作れば友達と遊ぶ事だってもちろん出来る。
彼曰く、
「こんなに自由な仕事はない」
こうなるともう辞める理由が見付からないそう。
取材を終えて
現在吉田さんはテレビ業界に入ってくるADのサポートや採用も担当されています。
外見やこれまでの経験から、印象としては変わった方を想像してしまうかも知れません。
実はまったくそんな事はなく、実際にお話するとまったく真逆の印象を抱くかと思います。
後輩達の将来や行く末をとても真剣に考えている方でした。
現在、株式会社FETVではアシスタントディレクター(東京と名古屋)を大募集中です!
ロケ風景
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