ディレクターデビューは突然に!

2016年11月9日

ディレクター

「ディレクターデビューしました!」

過去にテレビ業界に入るお手伝いをさせてもらった番組スタッフから、こんな嬉しい報告を受けることがあります。

3ヶ月に1人、半年に1人くらいの割合でしょうか、入社後はとんとご無沙汰してしまっているのにも関わらず、わざわざ・・・(うるっ)

人材紹介業をやっていて幸せな瞬間です(涙)(涙)(涙)

そのほとんどが《未経験》からアシスタントディレクターになり、ディレクターへとステップアップした方ばかりです。

ディレクターデビューにも色々あります。

・数秒~数分の番宣(PR番組)を作った
・15分程度のコーナー番組を作った
・1時間の番組を丸々1本作った

ディレクターとして承認されるには免許制度や資格があるわけではありません。

どの時点で“ディレクター”と承認・認知されるのか、会社や番組内でのスタッフの関係性などにより異なりますが、
会社の社長、プロデューサー、ディレクターなどの先輩達によって評価される時が自然とディレクターデビューに繋がるようです。

先日届いたディレクターデビューの報告は、丸々1本番組を制作したというものでした。

転職してディレクターデビュー

現在28歳のY君は、都内私立大学を卒業後、某ドキュメンタリー番組制作会社へ就職しました。

約4年間アシスタントディレクターとして勤務しましたが、決まったNHKのドキュメンタリー番組しか制作してきませんでした。

会社としてメインで制作している番組なので仕方ない、、、会社や番組に大きな不満があるわけではなかったのですが、Y君が他を見てみたいと考えるのは必然だったと思います。

キャリアトレインの転職サポートサービスを利用し、転職活動を行ったY君でしたが、まずは転職理由を整理することから始めました。

転職理由①「番組の幅を広げたい」
NHKの決まった番組しか制作機会を得られない。同じドキュメンタリー分野でも、色々なテイストの番組に携わってみたいと考えるように。

転職理由②「ディレクターになりたい」
上が詰まっていて、先輩達を飛び越えてディレクターになれるイメージが沸かなかった。

転職理由③「勤務条件を改善したい」
新卒で入社してから1度しか昇給がなく、雇用形態は業務委託だった為、社会保険も賞与もなし。

その他諸々、、、

転職理由を整理して、Y君の腹に落ちたところで転職先に求めることを抽出しました。

転職先に求めること

■企画を挙げやすい環境

■テレビ局に企画を通しやすい力のある会社

■憧れの番組やスタッフが在籍している会社

■雇用形態は拘らず、収入アップ

プレッシャーが大きい“経験者”の転職

未経験者の場合、出来なくて当たり前ですが、経験者の場合は会社としても大きな期待をかけて採用します。

「出来て当たり前」のプレッシャーに打ち勝つため、Y君はこれまで以上に積極的に動きました。

何人かのプロデューサーの下で数本の番組制作に携わり、ある時から決まったプロデューサーの専任アシスタントディレクターとして番組を受ける形になりました。

ディレクターは番組によって、社員ディレクターだったり、フリーのディレクターがやってきたり。

色々なタイプのディレクターと仕事をするようになり、Y君も大いに刺激になりました。

そんな日々をスタートさせたY君に、突然の指令が!

某人気ドキュメンタリー番組のヘルプとしての要請だったのですが、なんと放送8日前に準備していたネタがお蔵入りになってしまったというのです。

急きょ、新たなネタで8日後の放送に間に合わせることになったのですが、取材もロケも収録も何もかもこれからという状況です。

翌日には北の果てに飛び取材を敢行。東京で控えているスタッフに収録したものをデータで送り、編集を同時進行で進めました。

放送当日の午前中までMA(音声編集)をし、大阪にある放送局まで新幹線で運ぶ大役を見事に果たしました。

このようにして、会社やプロデューサーから徐々に信頼を獲得していったY君。

ディレクターデビューへの道を築いていったのです。

ディレクターデビューのきっかけ

Y君はアシスタントディレクターとして忙しい毎日を送りながらも企画作りに励んできました。

会社で企画公募があれば必ず提出。それも1本ではなく、数本の企画を提出していたのです。

また、プロデューサーとの雑談の中でも企画の売り込みを心掛けていました。

そんなある日、某テレビ局からY君に突然電話がかかってきました。

「〇月〇日オンエアの〇〇〇の担当ディレクターをやっていただけるそうで!」

状況を把握出来ていないY君はすぐにプロデューサーに連絡をしました。

すると、、、

プロデューサー「言うの忘れてた、この前出した企画通ったからよろしくな!」

それは、Y君が先日提出した企画でした。

プロデューサーがテレビ局に持って行ってくれて、Y君の企画を通してくれたのです。

こうして、BSの1時間番組を丸々1本ディレクターとして手掛けることになったのです。

普段からディレクターになりたい気持ちをアピールし、プロデューサーから信頼されていたからこそ実現したディレクターデビューでした。

ディレクターになっても尽きない悩み

アシスタントディレクター時代は、仕事を覚える辛さや、同期が次々とディレクターデビューしていく焦りと戦ってきました。

このままではいつまでもディレクターになれないのではないか?

ディレクターになるには、誰にどのようについていけばよいのか?

ディレクターになったら、今度は結果(視聴率)を背負うことになりました。

デビュー作品でも洗礼を浴びました。

BSの番組とは言え、なかなかの良くない数字だったそうです。

次のチャンスはやってくるのだろうか?

これからの時代に求められるディレクターとは何だろう?

元来心配性なY君の悩みは尽きません。

若手ディレクターとして東京五輪も待ち構えています。

スポーツ班だけではなく、ドキュメンタリー班も忙しくなる予定です。

とても良い時期にディレクターになったY君の活躍にも期待です。

私はこれからもY君のことを応援し続けたいと思います!

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《石川かおり》

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